【そうだ、書こう。】

文字に触れる。「今日の文字はどんな文字?」

オワリ と ハジマリ

 

ご無沙汰しています。川野です。

2016年ももう3ヶ月目へと突入しました…!
 
そういえば、卒業発表者のところに私の学生番号が書かれていて、
無事3月18日に卒業式を迎えられることになりました。パチパチ
(ちなみにこの日は私の誕生日でもあります。どうぞお会いした際には私に一言「誕生日おめでとう!」と言って下さるとそれはそれはもう嬉しい限りです。てへ)
 
今回のブログ記事は
①進路のご報告
②最後の交流会が終わりました(振り返り中心?)
 
の2本立てです。
 
気になる部分だけ読むもよし、どちらも興味ないから読まないでもよし、
暇やし〜しゃあなし2本とも読んだるで!でも良し…!とりあえず書きます。
 
 
 
 
…てぃっ!
 
 
 
①進路のご報告
 
昨年3月頃よりスタートしていた就職活動も昨年中に終え、
4月から社会人になることになりました!
お話を聞いて下さった先輩方々、共に頑張りぬいた就職活動生の皆様、本当にありがとうございました。
ブログという形にはなりますが、皆様に深く御礼申し上げます。
 
川野、4月よりIT業界で働かせていただくことになります。
家族が皆IT業界という、なんとも奇妙なことになってしまいました。笑
また、12月まで東京で働くことになりました。関東におられる方、どうぞ宜しくお願いします。
 
 
 
 
さて就職活動なのですが、最終的には
当初思い描いていた方向に進まないことにしました。
 
「人の転機に携わる仕事をしたい」
「当人がより良いと満足できる選択を促せられる仕事をしたい」
なんて漠然なことを考えながら、当初は就職活動を行っていました。
 
特にその中でも「より多くの人が”働く”ことをポジティブに捉えられること」は、生きるにあたって大きいのではないかと考え、それを軸に就職活動をしていました。(過去形)
 
ですが結果的には、(間接的にIT業界でその軸に携わることが可能といえども)その軸を重視しない就職先を選択することとなりました。その理由として、「やりたい仕事」と「ありたい自分」のGAPを埋めることがその軸では叶わないと思ったからです。
 
私の中では、「やりたい仕事をすること」が「ありたい自分でいること」と完全にイコールで結ぶことができません。さらに「やりたい仕事」にはまりこむほど「ありたい自分」から遠ざかっていく気がする、と就職活動の途中で気づかされました。(そのきっかけは志望していた業界の説明会だったのですが笑)
 
もちろんこれは私の主観の話です。人によっては「やりたい仕事をできることが最大限の幸福だ」と感じる方もいらっしゃると思うので、その考えについて否定する気はありません。それを追求することで日々の幸福感をSNSで露呈されている方を拝見することもあるので、本当にその辺りの考えは人それぞれであると思っています。
 
 
結果として私は、ある程度自分に妥協できるところに落ち着いた、といった感じで就職活動を終えました。
…と書くとなんかネガティブに聞こえてしまうのですが、でも私はこれで良かったと思っています。
世間体的にこんな就活は見本にしてはいけない!と言われそうな気もしますし、
私自身もあまり自分のやり方は勧めないです。笑
 
ですが私は、最終的にこの紆余曲折があったから今の内定先を知ることができたので
自分の就職活動にはすごく納得しています。感謝もしています。4月から働けることが楽しみです。
 
 

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何が言いたいかって、、、
他の誰でもない、自分で自分を認められることが一番重要だと思っています。
承認欲求を満たされたいと思うから、他己評価を気にするのはしょうがないとは思うけど、
他己評価はあくまできっかけで、最終的に自己承認が大切だと川野は思っています。はい。
 
更に、自分に納得できる為には期間が必要だとも思います。周りの評価を気にしなくてもよくなるのは、ある程度期間が空いてからだと思うので。なので自己承認することを投げ出さないようにしたいと、社会人目前にして考えているわけであります。はい。
 
 
 
…とはいえ、自分が今後どういう働き方をしているのかはまだまだ未定です。
「やっぱ弊社ブラックウウウウウウウウウウウウウウ」なんてTweetし飽きて
数カ月後には大阪に戻ってきて教壇の上に立つ仕事をしたいと思っているかもしれませんし、
コンビニでレジ打ちをしているかもしれませんし、そもそも働いていないかもしれません…。
(私なりの親孝行ができるレベルではいたいなぁ…!)
 
就職活動を終えたらもう働き方を考えなくてよくなるわけではなく、あくまで就職活動がそのスタートでしょう。自分の生きる過程においてどのような働き方をしたいのか、考え続けなければならないと思いますし、考え続けていきたいと思います。でもとりあえず4月から働けることは楽しみです。通帳が6桁になるなんて夢のようです…!!
 
 
どうぞこれからも川野を宜しくお願い致します。
 
 
 
 
 
②最後の交流会が終わりました(自分の話中心)
 
先月末に「第42回 政策・情報 学生交流会」への参加を果たし、学生生活最後の交流会が終えました。
一般参加3回、スタッフ2回、チューター2回の計7回と…自他共に認めるベテランさん(いわゆる老害)に昇格しました。涙
 
35回に初参加以降、41回以外の全てに参加したのですが(古参)、その間で数百人もの全国の学生の方々と交流することができました。関わって下さいました皆様本当にありがとうございました。
 
 
35thでは「批判的思考・前提を疑う」ことを学ぶ分科会に参加し、
36thでは「多角的視点を持ちながら、あらゆる選択肢を見つる必要性」を参加者に伝えるべくスタッフをやり、
37thでは安達洋介と「幸福とは何か」について考える分科会を創り、
38thでは「自分の意見をもった上で他者と対話することを通して、行動するきっかけを与える」ためにスタッフをやり、
39thでは「情報化社会の中で自分がいかにして知識を身につけるか」を考える分科会に参加し、
40thでは浪川真祐子と「『考える』ことについて考える」分科会を創り、
(41stは教育実習のため不参加…涙)
42ndでは「”福祉のあたたかいつながり”✕政策立案」について学びました。
 
 (35thアウトプットの写真、髪色…!)

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7回も交流会を経験しますと、やはり見える景色が変わったなぁと思います。
参加回数を重ねるごとにキャピキャピ感が減少し、
参加回数を重ねるごとに配る名刺の数も減少し、
参加回数を重ねるごとにfacebookの友達申請数も減少しました。
(なにこの悲しいやつみたいな感じ…)
 

 

(42thアウトプット写真、丸…!)

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でも、
参加回数を重ねるごとに深い仲になる人が増え、
参加回数を重ねるごとに涙腺が緩みが増し、
参加回数を重ねるごとに自分の思考の変化に気付かされる機会が増えました。
 
 
 
先にも述べたのですが、本当にこの交流会でたくさんの方と接点を持つことができました。
「後輩」のきゃわのをよいしょよいしょして下さる先輩方と出会ったり、
「わんこそば」のきゃわのと話し合いをしながら引っ張っていってくれる相方に恵まれ、
「同じfeedback班」のきゃわのに、当時の私に足りなかったものを諭してくれたとある恩人との出会いがあったり、
「副代表」の頼りないきゃわのについてきてくれた、冷たいように見えて意外とあったかいスタッフのみんなと出会えたり、
「しいしいレモン」のきゃわのと何回もミーティングを重ねて、2人だからこそ伝えられるメーッセージを込めて分科会を共に創りあげてくれた相方と出会ったり、しいしいレモンのみんなと出会えたり、
「溜め込みやすい」きゃわのに対して救いの言葉をかけてくれる大切な友人と出会えたり、
「東京宿なし」のきゃわのに暖かい心で宿を提供して下さる友人ができたり、、、
 
あげだすとキリがないのですが、交流会でたくさんの方と出会い、その中でも特に良くして下さる方とも出会え、幸せな学生生活でした。そしてこの出会いを、これからも大切にしていきたいと本当に心から思っています。皆様本当にありがとうございました。
 
 
交流会にはもう参加しないのですが、チューターをすることももうないのですが、それでも伝え続けていく存在でありたいと思っています。交流会やゼミで学び続けてきたのですが、やはり外に出すこと、発散することは自分の思考をめぐらすためには本当に大切なことです。thinkingしたものをcycleしない限り、再構築をすることはできませんからね…。
 
学び続けていく存在を目指すために、自分から発散することを恐れないでいたいなぁ。
ですので、時たま会った時などにでも是非「今って何を考えてる?」みたいな適当な話のフリなどしていただけるとどんどん発散できて嬉しいです。どうぞお暇な際は私にご一報を。笑
 
 
7回参加したベテランさん(苦)は今、
交流会は与えられるものではなく、自分が与えていくものなのかなと思っています。
それは初参加とか一般参加とか一切関係なくてですね…。
与えるというのは発散(発信)することです。それは言葉や文字や考えだけでなく、
自分が踊る姿勢や、食べる姿勢や、笑顔などでも同じかなとも思ったりしてます。
でも、与えるということは無意識的に行うものではなく、意識して行うものなので
単なる消費活動だけでなく、自分が意識して発散(発信)していくことが必要なのかな、と。
 
与えたものが誰かに影響を及ぼすとか、そんなことは二の次です。それが影響力のあることなのかどうかってことは自分が決めるのではなく周りが決めることなのであまり考慮はしません。Twitterの、知らん間に自分の投稿がめっちゃリツイートとかいいねされてるってのと同じことで、周りに評判が高いことが影響力の大きさには直結しないと思っています。
自分が意識して何かを発散しようとしたのか、それには何が込められているのか、、果たしてどうなんでしょう。
 
 
(そして、与えるためには自分から色々と学び、吸収していく必要もあると思うのですが、これに関しては小声で記しておくこととします。ボソボソ)
 
 
少し表現が難しいかもですが、私なりに交流会において感じることです。
と同時に、これから交流会に参加しない私に対して交流会以外でも与えていく存在になるために意識したいことです。メモメモ
 
 
 
 
…久しぶりにブログを書くのはすごく時間もかかり、どのように表現すれば良いか迷ってしまいます。
次回はもう少しフランクに書きたいものです。笑
 
読んで下さり、ありがとうございました(*^^*)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

◯◯の好きなとこ、きらいなとこ、気づいたこと

どうもです。ご無沙汰していますかわのです。

暇なので、少し空いた時間を使ってブログを更新します。

 

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待っていた子たち、おまたせやで!(言いたいだけ)

 

移動間にちょちょっと書くだけなのであまり文量は多くならない予定(は未定)なので、

まあ気軽に見てよ。ドンッ!

 

 

さて、今回のタイトル「◯◯の好きなとこ、きらいなとこ、気づいたこと」というテーマなのですが…この◯◯には何が入ると思いますか?

からあげ / ハッピー / back number / 加瀬亮 / ラーメン / 鳥貴族 / ポップコーン / 手紙

この辺りを想定できる方、まあまあ私のこと好きですね。笑

 

 

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\ 就職活動 /です。

 

「や、やめてくれぇあ」と思った同期、以後スルーして下さい。涙

 

就職活動をやり始めて数ヶ月、私なりに就活の好きなとこ、そして嫌いなとこを見つけ、この数ヶ月で気づいたことってのをいくつか記しておきたいと思ったので書きます。

 

これから就活を控える方々にとっては「あ、こんな感じなんかなー」と想像を掻き立てるものになってくれたらいいなーと思い、

絶賛就活いぇあ☆な同期のみなさまにとっては「うわー分かるわー」と共感してもらったり、こんな考えをしてるやつもいるんやなーと少しでも元気になってくれたらいいなーと思い、

就活をやり終えた方にとっては「懐かしw」みたいな感じで思い出すきっかけにしてくれたらいいなーと思い、

どれにもあてはまらない方にとっては「とりあえず川野は生きてるんだな!」と生存確認をしていただければいいなーと思っています。

 

「就職活動の好きなとこ」

①お父さんに優しくなれる

→私は実家にいるので毎日親に会えるのですが、3年生の時と比べると間違いなく父親に対する敬意は増しました。働くって、大変。それを週5おこなってて、帰ってきてからも家族とコミュニケーションとることを怠らなくて。「お父さん、実は結構すごいんじゃね?」ってことをよく思うようになりました。結婚するって、家族を養うって、本当にステキなことやと思うけど、本当に大変なことで、決して当たり前じゃなくて…。お父さんに限らずなところにもなるのですが、日常の当たり前がどれほど恵まれているのかということを痛感させられる日々が続いています。

 

②就活を理由に色々と融通がきく。笑

大学の授業を休むにしろ、バイトの休みをいただくにしろ、「すいません就職活動で…」と一言入れると「それはしょうがないね」って周りがわりとすんなり理解してくれるんですよね…!なかなかそんな万人に理解される理由ってないと思っていましてですね。たまに都合の良い理由として使う時もあります。…すいません。笑

 

③ワクワクを抱ける機会が多い

たいがいの企業は説明会に行くと好きになります。(一部嫌いになる企業もあることはあるけど…)「そんなステキなことをやってるんだ!」とか、「その働き方、楽しそう!」とかとか、「そういう思いで働いているんやー」とかとかとか。新しいもの好き(やけど流行には鈍感)な私からすると、こんなに新しいものと出会える就活ってなかなか楽しいもんやなーと感じていたりもするわけです。

 

 

「就職活動のきらいなとこ」

①やはりお祈られると辛い

→お祈り(つまり不採用のお知らせ)をされるってのは「お前能力ねえから無理ー」ってことじゃなくて、「あなたが弊社にきてもあなたが楽しく働けないと判断しました」ってことやと思っています私は。やからお祈られても自分の不出来を責めるのでなく、自分のどういう部分がその企業とマッチングしていなかったのかってのを考えてまた次に活かせばいいと思っています。…そうとは思っていても、分かっていても、やっぱりお祈りをされるのは辛いんですよね。でもやっぱり、その結果を次に活かすことでしか報われないんですよね。確かに辛い。やけどいつまで辛がってても現状は変わらないって切り替えることは大切にしています。(でもお祈られるのは嫌い)

 

②同期と話ができない

→本当にこの時期が特にですが、なかなか自分の現状でさえも人に話しづらくなってきます。就職活動への思い入れの違いは人それぞれです。3月より以前からがっつり就活している人もいれば、私みたいにゼミと同じくらいの割合でしか頑張ってない人もいます。100社以上の説明会やらセミナーやらに参加している人もいれば10社くらいしか参加していない人もいます。一つの業界に絞っている人もいれば、色んな業界を見ている人もいます。働き方が多様なように、就活のやり方も多様ということですね。そんな中、自分が今どれくらい進んでいるのかなどの話は、相手によればタブーな雰囲気になってくる場合もあったりします。例えそれが私にとっての大切な友人であってもです…。私も実際、そういう話を聞きたくない時があったりして、たまにTwitterとかで「通ったうぇーい」なんてツイート見て腹正しさをおぼえたりもします。笑

「ああっ!お話したいのにできないなんて…早くみんな就活終えてくれっ(自分含め)」

なんて思います正直。みんなで遊びたいものです。

 

 

就活の全てが苦しいわけでもなくて、でも全てが楽しいわけでもないです。

そんな心が落ち着かない数ヶ月を経て、私なりに気付いたことがあります。

 

 

「就職活動で気づいたこと」

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\ 大人って、かっこいい /

これは文字にできないのですが、本当に思います。働いている人だけにかぎらず、大人ってかっこいいなーと。私はまだまだ大人にはなれていないなーと。

 

 

\ 私の周りにはステキな人が多すぎる /

これはどれだけクサイと言われても胸をはって言うことができます。本当にステキな人が多いです。多すぎるくらいです。でも譲りません。笑

その中でも特に大切にしている人たちがいて、その人たちに胸をはって生きていきたいと強く思うようになりました。つくづく私は恵まれもんです…嬉涙

就活は決して1人ではできないと私は思っています。中には1人でできる人もいるのかもしれませんが、私はそこまで強い人間ではないです。でもこれは就活だけにいえることじゃなくて、「生きていくこと」って言葉に置き換えても変わらないのかなーなんて思います。

就活を通して改めて、私にとって大切な人の存在に気付くことができたなぁと、まだまだ就活を終える予定はないのですが感じています。

 

最近、とある人に「ありがとう」って言いすぎてることに気付いてびっくりしたのですが、その言葉以外で私の気持ちを表す言葉が思いつかないので、やはり言います。

ありがとうやで。

 

このブログを端的にまとめると、

・川野は生きてます

・絶賛就活なうです。まだまだ続きます。

・就活は、楽しいことと辛いこと、双方あるんだよ。

・でも就活を通して、大切な人たちが周りにいるって気付けたんだよ。

・ありがとうやで

 

といったところでしょうか。端的っ!笑

 

本日はこんな具合です。最後まで見ていただきありがとうございました。

それでは面接に行ってきます☆

 

 

 

 

 

 

色んな働き方があるんやから、まだまだ人間も捨てたもんじゃないっ

どうもです!ついに明日から3月がはじまります。3年生の私にとっては、ついに本格的に「就職活動」が始動しはじめるかと思うと(既にはじまっていますけどね)もう色んな感情を抱いている次第でいます。そんな私のことはおいといて、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?2015年に向けて立てた目標は実行できているでしょうか?私はといいますと…(遠い目)

さて、本日のタイトル

「色んな働き方があるんやから、まだまだ人間も捨てたもんじゃないっ」について、私が悩んでいたこと、それを経て今の自分がひとまず納得している答え(?)について話したいと思います。

(今回はわりと短め、かつ画像の挿入とかもなくいたってシンプルなものとなっています。)

 

実は私、「就活生」をしています。(いや、はじめに書きましたけどね)大学生活も残り1年わずかとなり、その後の世界について考えはじめないといけない時期となりました。就職活動って、本当に辛いものだと思っていました。…いや、正確にいいますとまだ本格的に始めていないのでこれから辛くなっていくのだと思います。果たしてこれから私は何通のお祈りメールとやらをいただくのかと思うと今からお腹が痛いです…。

就職活動をするにあたり、自分は何をしたいのか、どんな社会に生きていきたいのかなどの想像を膨らませます。それが時に楽しいのですが、私は時に不安になります。

 

目紛しく科学技術は進歩しています。人間が面倒くさいと思うこと、人間だけじゃ足りないことを機械が行ってくれるようになっています。これは、一見するとありがたいことです。今や食器は機械が洗ってくれ、コミュニケーションをとる相手はロボットに変わってきているのですから。

ですが私はこの状況を怖くも感じています。もし全てのことを機械ができるようになれば、人間の価値がなくなるのではないのかと考えます。今、「こんな仕事をしていきたい!」と思っても、いつかその仕事は機械がやってくれるようになるのではないか…なんてことも考えたりします。いつかこの世界を機械がまわしていくようになり、私たちは働くこともせず、ただ「生きているだけ」の日々がくるのではないか、なんて思ったりもします。…大袈裟かもしれませんが、案外そんな未来が近いのではないかなぁと自分の周りを見渡して感じるところもあります。

 

こんなことを考えているのですが…そんな私の今の結論は、「色んな働き方があるんやから、まだまだ人間も捨てたもんじゃないっ」です。そう思わせたきっかけは、派遣のアルバイトです。「え、そんなことで?笑」なんて思った方もいらっしゃるかもしれませんが…そうなのです。

私は時に派遣のアルバイトをしています。常勤のアルバイトもしているのですが、それが土日だけなのでたまに空いている平日にお小遣い稼ぎで働いています。始めて派遣のバイトをしたのが2014年の8月。はじめて夜勤をしたのですが、まあこれが人生で最も辛いアルバイトでしたね。 勤務内容は、小さな部品に着いているシールに汚れがついてないか、そのシールがずれていないかをひたすら見ていくものでした。…想像して下さい。全身真っ白の服を着させられ、時計のない部屋で、大量に積み上げられているシール棚を後ろに置き、ただひたすらシールを確認していく仕事なのです。終わりはありません。与えられた8時間の間にどれだけやれるか。成果報酬ではないので、とりあえずただこなしていくだけ。そう、ただ動いているだけなのです。それも真夜中の8時間。本当に私にとっては苦痛の時間でした。

でも、先ほどの話と比較して、何だかおかしいとは思いませんか?先ほどの話では「何でも機械が働いてくれる未来がくるのではないか…」と不安がっていたのに、私がこの派遣のアルバイトで行った内容…すごく単純ですよね。こういう仕事こそ、それこそとっくに機械ができそうだとは思いませんか?私はこの辛い夜勤で12000円稼ぎました。不愉快に思われる方もいるかもしれませんが「たがだかこんな仕事」でお金を稼げるのです。

科学の進歩は本当にすごいです。これからもどんどん発達していき、新たな可能性を生み出してくれると思っています。ですが、人間の五感には機械には任せられない特別な価値があるのではないでしょうか…。もっといえば、機械には変えられないものを人間はどの時代においても持ち続けられるのではないでしょうか…。なので、私の言いたいことはずばり「色んな働き方があるんやから、まだまだ人間も捨てたもんじゃないっ」ということです。きっとそれは今後どんな未来がきてもいえることなのかなーなんて思うと、少し安心できます。

ちなみに、先日仲の良い知人から「2045年問題」のことを聞きました。これを聞いて、書き溜めていたこのブログのことを思っていました。(ちなみにこの内容、概ね1月下旬に書いていた内容です。ただ体裁を整えていなくてこの時期まで更新できずにいましたすいません…!)もし関心があれば、下記NAVERまとめをご参照ください。

http://matome.naver.jp/m/odai/2134062854613628701

これから就職活動を本格的に進めていく時期になります。正直、分かりません。自分がどのような働き方を選び、1年後の自分は何をしているのか…からあげ屋さんを開いている可能性だってあるとおもっているほどですからね。笑

ただ、この世界には色んな働き方があるってことは常に頭にいれておきたいなぁと思っています。もっといえば、働かなくても生きていく方法があるかもしれません。私にその選択はないのですが。

色んなことを模索していきながら、自分が納得できる"働き方"をこの1年かけて探していきたいと思います。

今回もお読みくださりありがとうございました(^ω^)また(順調にいけば)来月にお会いいたしましょう…!

あけましたね。お目手”鯛!

 

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 どうもです。さあさあ始まりました2015年。めでたいのでブログを書くことにします。

前回のブログ後、とある子に「次のブログ楽しみにしてるよ!」と言葉をいただき、

普通に嬉しかったです(川野のハートはレアだぞ)

 

 

\やから、川野、書きます。へへ/

 

 

 

…うーん、なんて言ったけど少し補足説明。私のブログの位置って自分が軸なんだよね。

やから自分が書きたい時に書くし、あまり周りのことを気にせず書いてる。(つもり)

いや、炎上する内容を書いてるとかでなく、自分が思ったことを

なるべくそのまま書くようにしてるということです。

誰かに見られていることを意識すると、どこか自分の言葉じゃなくなってしまうことが多々あって…。

やから、このブログは、自分の言葉を大切にしたいなー

なんて思ってます。

 

とかいいながら、やっぱみなさんからの反応があるのは嬉しいです。

やっぱ人って誰かからほめてもらえると喜ぶ生き物やからね。

やから、自分本位で書いた内容を評価してくれる人絶賛募集中です。

(単にワガママ。知ってる)

 

 

 

ということで、書きます。

さて、今回のブログは

ちょいと2014年を振り返る

実行できない目標設定

について書きます。先にいっておきます。長いです。

戻るならここで戻るんだぞ

 

 

 

・ちょいと2014年を振り返る

 

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「いや、去年のうちに振り返れよ。」

 

…ええ、間違いない。やけど許して下さい。

大晦日まで進級論文を強いられていたのですよ。涙

なので新年早々、去年を振り返って勝手に病みます。笑

 

 

 

2014年、自分の中で大きかったのは

「結果が伴わない努力を強いられる」かな。(暗)

ゼミしかり、サークルしかり、恋愛しかり。割と自分が感じることはこの言葉が今のところしっくりきてます。

 

 

2014年、ゼミが始まりました。

「あ、ごめんゼミで…」といって多くの誘いを断り、

「あ、リサフェが…」といって三田の朝日を何回もみました。

 

 

 

でも正直、ゼミの頑張りが報われた気はしていない。

リサフェは、同じように頑張ってた他のゼミは賞をばんばんとってたのに、私のゼミは何一つ賞をとれはしなかった。

自分自身も、「屁理屈がうまくなったね。笑」と言われるくらいしか変化を感じていない。え、つら。

 

 

努力が必ずしも報われないってやつですよね。

いやー、やっぱり努力が報われないのはなかなかショックなんですよ。

 

 

でも、そんなことを言いながら

「あんま頑張ってなかってんやろうなー」とは思う。

時間を割くことが、頑張るってことではないからね。

まあ、リサフェのおかげでゼミの先輩とは本間に仲良くなったね。どれくらい仲良くなったって、タメ口で喋るくらい。笑

 

確かに今のゼミは、他のゼミと比べると無駄な努力を強いられてる感は否めない。人間関係の希薄化を問題にしてるゼミが、ゼミのせいでゼミ性以外の人と人間関係の希薄化をひきおこしてるこの矛盾は否めない。笑

 

このゼミに入って、私は何度も自信を喪失しました。

何度かゼミ後の電車で涙を流しました。

知らない方がもっと生きやすかったと後悔したりもしました。

 

でも、なんやかんや愚痴を言いながらもう1年頑張るよ。

頑張らな卒業できない~とか消極的な頑張りでなく、

積極的に頑張るよ。無駄な努力、頑張るよ。

(でも今年は少し努力が報われるようにしたい)

 

 

 

 

サークルの代表してました。

サークルに関しては、一人暴走列車状況が否めないまま引退した感があります。

そして新入生をあまり入れられなかったことを悔いてます。

自分はつくづく代表には向いていないと感じました。

でも、そんな代表についてきてくれた3回生、2回生、おうたむには本当に感謝してます。

 

サークルの代表という格から解放されて思うことがあったので書きます。(サークルの後輩が見てくれているかどうかは別の話)

代表には向いていなかったけど、やっぱこのサークルに入って本当によかったな。って思います。

基本、やりたい時にやりたいことができるサークルで、

毎年やらなアカン行事とかも特にないし、そう、自由。

ただ、やりがいを見つけられなかったらなかなか辛いサークルでもあった。人数上、やめづらさもあるしね。笑

 

サークルにやりたいことがなかったら作ればいいんだよ。

サークルって組織を利用して、やりたいこと探して、やればいいんだよ。私が所属してたサークルは少なくともそれができるかなーって思う。やりたいことをやりすぎた結果、他のメンバーの負担になって迷惑をかけたのかなーとも思うんやけどね。後悔はしてないよ。本当にみんなには感謝してます。ありがとう。そしてこれからもよろしくしたいところです。

 

 

 

 

 

恋愛もしました。

やっぱり人と向き合うのは難しいです。

こうしてパソコンと向き合ってる方がよっぽど楽です。笑

恋愛してなくても生きていけるし、恋愛してない方がよっぽど楽なんやろうなーとも思う。

基本あまり人に干渉しないし、素直な感情を誰かに見せることにはまだ怖いと思うところもある。まあそれは過去の経験からそうした方が自分は楽やって学んだからね。

でも、今の恋愛をしだしてから、自分の感情を知ってほしいと思うようになった。その分大変やねんけどね。涙

今までの恋愛は、自分の感情を押し殺して横にいてほしいと思うような恋愛ばっかやったから。楽なんだよその方が。でもそれって、結局どこかで自分を否定してしまっているんだよね。すごく悲しいと今の私は思える。なので、今の恋愛はすごく幸せです。

自分に向き合えて、相手のこともちゃんと見たいと思えるから。

 

いや、何がいいたいかって、

恋愛も捨てたもんじゃないぜ☆ ってこと。超上から。笑

 

 

 

 

 

 

2014年で報われなかった努力たちが、今年は報われたいね。

 

 

 

 

 

 

 

・実行できない目標設定

 

さて、川野は毎年目標を立てるのですが、、、

 

 

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「実行できない」(画像本日2回目)

 

 

 

結局去年も”手紙を書く”ってことしか達成できてないんよね。涙

そして今年も目標をたてようとしている川野…

 

 

何で目標ってたてるんでしょうね?

実行できない目標なんて意味ないんじゃねーの?

 

 

なんて自問自答をしました。

とある人からこんな意見を頂戴しました。

 

「1日の目標を達成できない人が1年の目標なんて達成できるわけがない。まずは1日1日の目標を達成するとこから頑張った方がいいんじゃない?」

 ↑

 ええ、ごもっともなのです。

本当にごもっともすぎて何も返せなかった。

 

 

 

 

しかし、簡単に納得して実行しない屁理屈かわの。さあ、ここから都合の良い川野言い訳真剣モードですよみなさま…!

 

ずばり、「目標なんて達成できなくていいんだぜ☆」ってこと。

…はい。深夜テンションの川野です。笑(am4:18)

 

いやね、ちょっと言い訳きいてよ真剣やからさ…

新年の目標って、「また1年も生きよう」ってことなんだよね。

また1年、今年も自分はこの星で生きるって意思表示やと思うんや。達成するとかしないとか…そんなことでなく、その意志を大事にしたいなーなんて私は思うんよ。

ほんで、やっぱ目標たてたら自分も楽しいやん。何だか1年のスタート、わくわくできるやん?

一時の感情かもしれへん。でもそれが楽しくて、生きたいって思えるんなんやったら、私は達成しない目標でも設定したいと思った。

 

 

結局私は自分に甘いからさ。達成できないことでも合理化するんや。・・・屁理屈うまなったのはこういうとこなのかな。号泣

 

 

ということで、たてます。2015年の目標。

ここで川野なりのこだわりがあってね…やっぱ目標って妥協するものではないと思うんや。

達成できそうで、でも何かできないやつ。

目標って自分の中ではそういうものやと思っている。やから、そういう目標を立てる。(ちなみに、誰かに具体的な目標見せるのはじめてかもしらへん…!)

 

 

①書斎をつくる

これはー、こういうこと。笑

21年生きていて、分かった。布団を敷く部屋で勉強をやろうとするのがそもそも無理なことなことに。

やから、基本家にいない兄の部屋を私の書斎にする計画なのだ。

「勉強部屋」でなく、「書斎」。だって書斎の方がかっこいいもん。へへ

 

これに続いて自分の部屋の改造もしたいな…。

 

②5kg痩せる

特に下半身。

これはきっと中期目標、短期目標が必要なんや。

去年に引き続きの目標続行です…!

 

③わりのいいお金の稼ぎ方をする(貯金5万!)

懸賞に応募するとかね。後は体使ってのバイトでなく、頭使って何かお金稼げないかなーっての(紹介待ってます☆)

 

④月に1回以上ブログ更新

いや、知り合いがほぼ毎日更新してたり、「放課後は書くことにした」とかみてたらさ、月に1回なんて余裕やろ?なんて思われるかもしれんやどさ…。あれ本間すごいねんで?しかも書くだけやなくてあんな面白く書けるの、本間にすごいねんで…!

去年の私のブログ更新回数…確か2回やで?それを12回にしようとしてるんやから…。ビックチャレンジですわ。

 

後、この目標をたてたのには理由がありまして。

2015年はきっと「アウトプットの年」です。

就活しかり、交流会しかり、論文しかり、、、4回生っていうこともあって、きっと多くの場面で自分のアウトプットを求められる年やとおもってます。

 

正直、怖いです。自分に自信がなくてもアウトプットをしなきゃいけない状況が何度もあるやろうから。

でも、色んなことにおいて”場慣れ”が必要なのかなーなんて思ったりしててね。

ブログで自分が思うことを文字にすることは、わりとアウトプットの練習になると思ってる。

 

でも、書くなら単に書くだけじゃ意味ないでしょう。

ドMの川野はここに条件を付けます。

ずばり、

・5000字以上のものを月1に書く(3693字なう)

・改行しないやつ(つまりこれはカウントできない)

・口語で書かない

 

…といってもこれだけやと全然楽しめなくなるからたまには違うやつも書くよ。2015年もお楽しみに!

 

 

 

⑤内定もらう、進級する、フル単(切実)

 

 

 

まあ、今年の目標は、2014年の目標が達成できなかった反省も含めてもう少しここから練っていこうと思います。

 

というわけで、、、ここまで読んでくれた物好きな君!

今年もよろしくお願いします(´・ω・`)ありがとう!

ここまで読んでくれるような人と、今年は仲良くして

より良い1年にしたいとおもいます。

 

 

 

 

拝啓 夏休み様

拝啓 夏休み様

 
夜も少しずつ長くなりつつあり、秋の虫の鳴き声、肌で感じる気温の変化により、貴様がもういなくなることを覚えさせます。…
 
 
(もうギブアップ)
 
 
 
どうも。お久しぶりです。
書きたい、残しておきたいと思ったので書きます。
今、私の中にいる色んなものを外に出すことは自分自身のためとなるので。書きます。
 
 
 
 
(※読み返して思ったのですが、何か全体的にトゲがあるように見えますね。ですが自分の考えを吐き出してるだけですので、不快にならんとって下さい。不快になっても、私は知りません。投げやり。)
 
 
 
 
今回は、「色」ってアプローチからまず初めに交流会のこと、次に私が思う「成長」のことについて書こうと思います。(ドラクエのBGMでもかけながら。)
 
 
 
 
実は私、案外”溜め込む”傾向にあります。
(あれ、いきなり脱線?まあまあそう焦らずに…)
 
そして具合が悪いのが、溜め込みすぎて”ああああああー”ってなるまでそのことに気付かないということ。一度これで痛い目にあってはいるのですが、、、うーんなかなか。
 
 
でもね、
 
 
 
「でも、これも自分なのです」
 
 
 
みなさんは、もしかしたら私に対して良いイメージをたくさんお持ちかもしれません。(そんなことがあるなら多謝)
ですが私にも悪い所はあります。自分の嫌いなところがあります。どうせなら周りに見せず、仮面をかぶり、この嫌な所を”なかったことにしたい”と思うBLACKな自分がいます。
 
 
 
 
 
 
「でも、やはりこれが自分なのです」
 
 
 
 
 

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「第39回 政策・情報 学生交流会」
(本間の正式名称、空白とかも含め)
に、行ってきました。(行ったというか帰ったというか…。)
 
 
たくさんの人と真剣なお話をしました。あくまで私の感覚の話ですが…交流会って、普段の日常じゃ「・・・。(笑)」ってつけたくなるようなことを(笑)をつけずに話すようなとこ。
そこではいろんな人の”色”に触れ、それを自分の持ってる色に加える場所。
 
 
 
 
きっと初めて交流会に来た人は、たくさんの色を持って帰ることができたと思う。新しい色が自分の中に増えることってすごく嬉しいことやと思う。事実、私も初参加の時はその色が増えることに嬉しさを覚え、今度はそれを提供したいと思った。やからスタッフ2回したり、チューターしたり、どんどん交流会にはまっていった。(古参まっしぐらですよ本間…)
 
 
色が増えることは、自分の可能性を増やすことに繋がると思う。それは新しい選択肢や、自分のさらなる自信につながることにもなると考えられる。
 
 
 
 
 
 
 
でも、私はそれに 待った といいたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
どんなに色が増えても、どんなに刺激があっても、どんなにステキな出会いをしても非日常を体験しても、自分は何も変わっていない。
 
 
どんなにステキな体験をしても、結局”溜め込む”傾向にある自分の黒色の部分はなくなっていないことを忘れてはいけない。
 
 
 
 
 
新しい色に惑わされてはいけない。
新しい色に溺れてはいけない。
新しい色にときめいてばっかではいけない。
 
 
 
 
 
 
新しい色と出会い、それで今までの自分の悪いところから目を背けちゃいけない。それも自分なのだから。
 
 
 
でも、新しい色を使って黒色を灰色に、青色に変えることはできる。たくさんの色の中にある黒色は、すごくバランスの取れた色になっているのかもしれない。
 
 
新しい色を、使うも殺すも自分自身。
 
 
 
時に新しい色が自分にとって凶器となることを、忘れちゃいけない。
 
交流会に5回参加して、そんなことを思うわけです。
 
 
 
 
 
 
 
 
…5回も参加してんや。汗
 
 
 
 
 
 
 

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この夏は、たくさんの「空」に出会った
 
海辺の空
東京の空
鎌倉の空
奈良の空
乗鞍の空
滋賀の空
 
 
どの空も「青い」って言葉で済ませられることはできるけど、そんなことをするのは勿体無いくらい、たくさんの空の、たくさんの「あお」に出会った。
 
 
去年も、一昨年も、同じように夏休みはあったけど、こんなことを感じなかった。
 
 
 
”今年の空が格別魅力的だった!”
 
 
 
なーんてことはないだろう。きっと去年だって、一昨年だって、もっといえば私が10歳の時だって、空は変わらずいろんな色であっただろうし、キレイであっただろう。
 
 
自分の空に対する思い(考え)が変わったのだ。
 
 
じゃあ、なんで変わったのか?
 
 
年を重ねるごとに、私の周りにいる人が変わり、環境が変わり、そして自分が変わったのだ。成長した…のかもしれないが、ここでは”変わった”という言葉にしておく。
 
 
 
 
変化と成長は違う。変化っていうのは点のような、ポツンとしたもの。カレーでいうなら水(湯?w)の中に野菜しか入ってない状態にカレーのルゥをポンッと入れるようなもの。
 
それに対して、成長っていうのは線のような、じっくーりしたもの。同じくカレーでいうなら、ルーを入れた後にかき混ぜて、グツグツと、グツグツと煮て、時には1日でもおくような、そんなもの。
 
ルゥと入れてすぐのカレーなんて、まだまだ水っぽいよね。味なんてほとんどしないよね。
でも、そのカレーを知ってたら、グツグツと時間をかけて仕込んだカレーの美味しさってすごく感じられるんじゃないかな。カレーの味も毎日同じ味じゃなくて、日に日にコクがまろやかになったりするのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
何が言いたいかって、人ってそんな簡単に成長しないってこと。かつ成長したかどうかなんてそんなすぐに分からないってこと。この夏休みの期間だけで成長した!なーんてピーリカピピララポポリノペーペルトー♪みたいなことはないってこと。
(え、このネタみんな分かるよね…?)
 
 
 
 
インターンや意識高い系学生団体のイベントでは、よくこの言葉を使われてるよね。まぁ、この言葉に学生が惹かれやすいからなのだろうけど。
 
 
でも、インターンやそういうイベントが提供するものは「変化」であり、もっとよく使われる言葉でいうならば「きっかけ」である。成長を与えるなんてことはどんなステキな団体や企業でもできない。できないのだ。
 
 
私もこの夏、インターンシップなんてものに行かせていただいたり(いやー1ヶ月以上たって思い返してもあれは楽しかった。)、海外旅行に行ったり、交流会に行ったりした。ステキな人に出会ったし、自分を見つめることができたし、我ながら、有意義な夏休みを過ごすこができました。
 
 
でも、自戒を込めて、もう一度言います。
 
 
 

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「何一つ成長していないよ。
 自分自身は何も変わってにゃいない。」
 
 
 
 
自分が変わるのか、成長とやらをするのか、それは間違いなくこれからの自分次第。自分がこれから何を考え、どんな行動をするのか次第。
 
 
 
 
「あぁ、あの時のあのきっかけのおかげで自分も成長したんやな〜」なんてことを素直に思える日がくるように、私もがんばらなきゃね。うっし。
 
 
もうすぐ秋学期です。
秋学期もたくさん、自分のやりたいことをやります。(もちろん勉強もしnあgえい@あえにおさんこ「て)
楽しい秋学期を過ごします。
 
秋学期のきゃわのもよろしくだぜ☆
 
 
 
 
 
 
 

おまけ

 

溜め込む癖のある私は、本当の声で叫ぶことをこの前しました。

意外と、良いよ。

 

 

 

「叫べ」という この不確かな心を

「またね」という その不確かな言葉も

無くさぬように 忘れぬように いられるように

 

 

どうにもこうにも時間は私を待ってくれない

私は何に対しても長続きすることができない。そんな私がブログとやらを始めてみた。

私が「書いてみよう」と思って書いてみることで生まれたその文字たちが、どのようになるのか。時には踊るのか、はたまたドロドロになるのか。自分でも分からない。ゼミの課題は正直嫌いだ。でも書くことは好きだ。 だから、記してみたくなった。

やりたい時にやりたいことを。だから、自分の気の向くままに書いてみる。

 

 

 

3度目の青春18切符にて東京から大阪の旅の帰路。
うつりゆく景色の変化は自分を現実に少しづつ戻していきます。
さて、ただ刻々と時間の経過を感じる大学生3度目の夏休み。
本当に、ただ時間が過ぎていく。今、目の前に「モリリン」という会社の広告が一瞬で過ぎ去ったように過ぎていく。そんな中にいる。

 

時間は取り戻せなくて、お金では買えないとよく言われるが、私は大学に払うお金の中にこの自由な時間を買ってるような感覚を最近覚える。だからこそ、この夏休みという時間は、この時間こそは浪費で終わらせたくない。「支払ってるお金を還元しないと」という思いとは少し異なる。「この時間の価値を体で感じたい」と思う。

 

そしてやはり、その価値を感じる方法の1つに”経験”をすることは大きいだろう。時間の使い方は人それぞれ異なり、それぞれの価値がある。だから決して夏休みにこれをすべき!なんてことはない。インターン行かないと!とも思わないし、留学に行っとかないと!なんてことも思わない。もちろん懸命にそれをしている人を拒絶しているわけではない。事実、自分の大切な人が留学に行ったりしている。

 

大切なのは、時間の価値を踏みしめて自分のやりたいことを精一杯楽しむこと。「楽しむ」という言葉には色んな意味が含まれるし、時に語弊をうむことがあるが、それでもあえて私は「楽しむ」ことを大切にしたい。

 

そんな私の東京で過ごした時間は、全てが楽しかった。

何より私の心を踊らせたのは、雲1つない空だった。

 

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実は青色の画用紙(笑)なんてコメントも納得ができる。本当に

青い、蒼い、碧い、葵、青い空。

 

この4日間は上を眺めることが多かった気がする。

木の葉の間から垣間見える青い空。

竹が生み出す涼しい風を感じながら見上げる空。

都庁のTEPPENを見つめながら視界にうつる空。

住んでいた処の近くにあったpredential financial って書いてるビルの背景を染める空。

 

「あぁそうか、空ってこんなに青かったんだ。」なんて当たり前に思ってることを改めて実感した。空が青いことは当たり前なんかじゃないよ。

 

 

ただ空が青かったわけでなく、その空(宇宙?)をいつも誰かと一緒に見た。

この感動を他の人と一緒に感じることができた。何てステキな世界なんだヨ!

色んな人に出会えた。色んな人と過ごした。そんな東京での4日間。

 

恐竜の骨を見てうひょうひょした時も、

東京の緑に触れた時も、

あの家で料理をした時も、

あの家で色んな人が暮らしたあの時も、

パジャマで赤坂まで歩いてTBSまで行ったあの時も、

色んな人とタイワをしたあの時も、

鎌倉の涼しい風を浴びたあの時も、

友人の少し早い誕生日プレゼントを笑いながら選んでいたあの時も、

羽田空港で見たたくさんの飛行機と暖かい感触を感じたあの時も、

…もう全てが自分にとっての「過去」となっている。

”記憶”として、”記録”として過去となっている。

 

 

どうしてこんなに時間は早足なのだろうか。

人生が2倍速のように感じる。

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先ほどアマゾンで注文した本。

モモにとって時間とはどのようなものなのか。

私はもしかしたら時間泥棒に時間を盗まれたのだろうか…。

 

 

 

この4日間の2倍速の原因は、「楽しかった」からだろう。

もちろん日常の大阪の大東市でのあの暮らしも楽しい。

でも、その楽しいとは違う種類の楽しみ。

とっても儚くて、新鮮で、たくさんの人と触れ合えた。

たくさんのお酒と、いつも食べないご飯と、普段出会えない人との再会。

初めての土地。初めてのシェアルーム。初めての永田町、赤坂見附。

 

楽しかったあの時間を巻き戻すことはできないし、一時停止することもできない。

どうにもこうにも時間は私を待ってくれない。

でも、だから、私はあの日々を楽しいと思えたのだ。

 

 

待ってくれない時間を、私は生きる。楽しみながら。