【そうだ、書こう。】

文字に触れる。「今日の文字はどんな文字?」

拝啓 夏休み様

拝啓 夏休み様

 
夜も少しずつ長くなりつつあり、秋の虫の鳴き声、肌で感じる気温の変化により、貴様がもういなくなることを覚えさせます。…
 
 
(もうギブアップ)
 
 
 
どうも。お久しぶりです。
書きたい、残しておきたいと思ったので書きます。
今、私の中にいる色んなものを外に出すことは自分自身のためとなるので。書きます。
 
 
 
 
(※読み返して思ったのですが、何か全体的にトゲがあるように見えますね。ですが自分の考えを吐き出してるだけですので、不快にならんとって下さい。不快になっても、私は知りません。投げやり。)
 
 
 
 
今回は、「色」ってアプローチからまず初めに交流会のこと、次に私が思う「成長」のことについて書こうと思います。(ドラクエのBGMでもかけながら。)
 
 
 
 
実は私、案外”溜め込む”傾向にあります。
(あれ、いきなり脱線?まあまあそう焦らずに…)
 
そして具合が悪いのが、溜め込みすぎて”ああああああー”ってなるまでそのことに気付かないということ。一度これで痛い目にあってはいるのですが、、、うーんなかなか。
 
 
でもね、
 
 
 
「でも、これも自分なのです」
 
 
 
みなさんは、もしかしたら私に対して良いイメージをたくさんお持ちかもしれません。(そんなことがあるなら多謝)
ですが私にも悪い所はあります。自分の嫌いなところがあります。どうせなら周りに見せず、仮面をかぶり、この嫌な所を”なかったことにしたい”と思うBLACKな自分がいます。
 
 
 
 
 
 
「でも、やはりこれが自分なのです」
 
 
 
 
 

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「第39回 政策・情報 学生交流会」
(本間の正式名称、空白とかも含め)
に、行ってきました。(行ったというか帰ったというか…。)
 
 
たくさんの人と真剣なお話をしました。あくまで私の感覚の話ですが…交流会って、普段の日常じゃ「・・・。(笑)」ってつけたくなるようなことを(笑)をつけずに話すようなとこ。
そこではいろんな人の”色”に触れ、それを自分の持ってる色に加える場所。
 
 
 
 
きっと初めて交流会に来た人は、たくさんの色を持って帰ることができたと思う。新しい色が自分の中に増えることってすごく嬉しいことやと思う。事実、私も初参加の時はその色が増えることに嬉しさを覚え、今度はそれを提供したいと思った。やからスタッフ2回したり、チューターしたり、どんどん交流会にはまっていった。(古参まっしぐらですよ本間…)
 
 
色が増えることは、自分の可能性を増やすことに繋がると思う。それは新しい選択肢や、自分のさらなる自信につながることにもなると考えられる。
 
 
 
 
 
 
 
でも、私はそれに 待った といいたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
どんなに色が増えても、どんなに刺激があっても、どんなにステキな出会いをしても非日常を体験しても、自分は何も変わっていない。
 
 
どんなにステキな体験をしても、結局”溜め込む”傾向にある自分の黒色の部分はなくなっていないことを忘れてはいけない。
 
 
 
 
 
新しい色に惑わされてはいけない。
新しい色に溺れてはいけない。
新しい色にときめいてばっかではいけない。
 
 
 
 
 
 
新しい色と出会い、それで今までの自分の悪いところから目を背けちゃいけない。それも自分なのだから。
 
 
 
でも、新しい色を使って黒色を灰色に、青色に変えることはできる。たくさんの色の中にある黒色は、すごくバランスの取れた色になっているのかもしれない。
 
 
新しい色を、使うも殺すも自分自身。
 
 
 
時に新しい色が自分にとって凶器となることを、忘れちゃいけない。
 
交流会に5回参加して、そんなことを思うわけです。
 
 
 
 
 
 
 
 
…5回も参加してんや。汗
 
 
 
 
 
 
 

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この夏は、たくさんの「空」に出会った
 
海辺の空
東京の空
鎌倉の空
奈良の空
乗鞍の空
滋賀の空
 
 
どの空も「青い」って言葉で済ませられることはできるけど、そんなことをするのは勿体無いくらい、たくさんの空の、たくさんの「あお」に出会った。
 
 
去年も、一昨年も、同じように夏休みはあったけど、こんなことを感じなかった。
 
 
 
”今年の空が格別魅力的だった!”
 
 
 
なーんてことはないだろう。きっと去年だって、一昨年だって、もっといえば私が10歳の時だって、空は変わらずいろんな色であっただろうし、キレイであっただろう。
 
 
自分の空に対する思い(考え)が変わったのだ。
 
 
じゃあ、なんで変わったのか?
 
 
年を重ねるごとに、私の周りにいる人が変わり、環境が変わり、そして自分が変わったのだ。成長した…のかもしれないが、ここでは”変わった”という言葉にしておく。
 
 
 
 
変化と成長は違う。変化っていうのは点のような、ポツンとしたもの。カレーでいうなら水(湯?w)の中に野菜しか入ってない状態にカレーのルゥをポンッと入れるようなもの。
 
それに対して、成長っていうのは線のような、じっくーりしたもの。同じくカレーでいうなら、ルーを入れた後にかき混ぜて、グツグツと、グツグツと煮て、時には1日でもおくような、そんなもの。
 
ルゥと入れてすぐのカレーなんて、まだまだ水っぽいよね。味なんてほとんどしないよね。
でも、そのカレーを知ってたら、グツグツと時間をかけて仕込んだカレーの美味しさってすごく感じられるんじゃないかな。カレーの味も毎日同じ味じゃなくて、日に日にコクがまろやかになったりするのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
何が言いたいかって、人ってそんな簡単に成長しないってこと。かつ成長したかどうかなんてそんなすぐに分からないってこと。この夏休みの期間だけで成長した!なーんてピーリカピピララポポリノペーペルトー♪みたいなことはないってこと。
(え、このネタみんな分かるよね…?)
 
 
 
 
インターンや意識高い系学生団体のイベントでは、よくこの言葉を使われてるよね。まぁ、この言葉に学生が惹かれやすいからなのだろうけど。
 
 
でも、インターンやそういうイベントが提供するものは「変化」であり、もっとよく使われる言葉でいうならば「きっかけ」である。成長を与えるなんてことはどんなステキな団体や企業でもできない。できないのだ。
 
 
私もこの夏、インターンシップなんてものに行かせていただいたり(いやー1ヶ月以上たって思い返してもあれは楽しかった。)、海外旅行に行ったり、交流会に行ったりした。ステキな人に出会ったし、自分を見つめることができたし、我ながら、有意義な夏休みを過ごすこができました。
 
 
でも、自戒を込めて、もう一度言います。
 
 
 

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「何一つ成長していないよ。
 自分自身は何も変わってにゃいない。」
 
 
 
 
自分が変わるのか、成長とやらをするのか、それは間違いなくこれからの自分次第。自分がこれから何を考え、どんな行動をするのか次第。
 
 
 
 
「あぁ、あの時のあのきっかけのおかげで自分も成長したんやな〜」なんてことを素直に思える日がくるように、私もがんばらなきゃね。うっし。
 
 
もうすぐ秋学期です。
秋学期もたくさん、自分のやりたいことをやります。(もちろん勉強もしnあgえい@あえにおさんこ「て)
楽しい秋学期を過ごします。
 
秋学期のきゃわのもよろしくだぜ☆
 
 
 
 
 
 
 

おまけ

 

溜め込む癖のある私は、本当の声で叫ぶことをこの前しました。

意外と、良いよ。

 

 

 

「叫べ」という この不確かな心を

「またね」という その不確かな言葉も

無くさぬように 忘れぬように いられるように